フィロソフィーとはフィロソフィア、人が持つ必要のある技芸の基本

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コンチネンタルホテルのカフェラウンジで

港を眺めながら

ゲーテの『ファウスト』を読んだあと

港の見える丘公園

薔薇園は早咲きの薔薇のみ

それでも初夏の風は甘い香り

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保江先生が先日の講演会で

大倉山記念館について

「あそこはピラミッドだ」と言ったので

帰り道に寄ってみた

16歳から20代まで

大倉山にはよく通ったのに

大倉山記念館には行ったことがなかった

図書室はもう閉館していたけれど

展示物に

『大倉邦彦はタゴールを自宅に宿泊させていた』

と書いてあったので

なるほど納得

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渋沢栄一も絡んで

あの時代

彼らにはやろうとしたことがある

大倉邦彦は佐賀出身

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3年前の過去記事にこんなことを書いていた

『愛知・哲学を示す『フィロソフィー』とは

もともと中世ヨーロッパの大学制度において『人が持つ必要のある技芸の基本』としたリベラル・アーツと呼ばれる自由7科を示す『フィロソフィア 』からきています(Wikipediaより引用)。

文法学・修辞学・理論学・算術(数論)・幾何(幾何学・図形の学問)・天文学・音楽の7科は科学も芸術も哲学の中に取り込んでいました。

産業革命の頃に哲学は科学と切り離されその本質を見失いました。』

違う、、、もっと前に切り離され

26,000年の歳差で

その本質を忘れたわたしたちは

またそこに回帰してゆく