ユングとアリスベイリーとの接点、そして占星術

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『パウリの夢』のスザンヌ・ギーザーの序文には

ユングとアリス・ベイリーとの接点について触れており

ユングはそことの関わりを避けたと綴られている

 


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 オルガ・フレーべ=カプタインは出版に使用するための豊富な錬金術の図像をユングに提供している。彼女は、ユングが最初に錬金術の講義をしたエラノス会議の創設時の中心人物でもあった。彼女は数年にわたってローマ、パリ、ロンドン、そしてニューヨークの博物館で6000点もの図版を収集している。象徴的イメージへのフレーべ・カプタインの関心は、詩人で神秘主義者のルドヴィッグ・ダーレス(1870〜1948)に触発されたもので、それは彼女がユングと知り合うはるか以前から始まっていた。ダーレスは詩人や審美主義者や秘教主義者たちが集うシュテファン・ゲオルゲ(1868〜1933)のサークルに近く、フレーべ・カプタインに神話や神秘的教義を紹介し、象徴やイメージについて研究するよう勧めていた。フレーべ・カプタインは1930年にスピリチュアルな訓練に相当にのめり込み、神智学者アリス・ベイリーと共に「ドグマや宗派からの自由」を標榜する「スピリチュアル研究学校」を設立した。彼女たちは1930年の夏に最初の集会を開催した。すなわちベイリーとアサジオリの講演である。この同じ年にフレーべ=カプタインはダルムシュタットにあるヘルマン・カイザーリンク伯爵の知恵の学校でユングと出会う(ユングはそこで中国学者のリヒャルト・ヴェルヘルムとも出会っている)。他にも多くの者が知恵に学校に加わり講義を行なっておりーーーレオ・ベック、ゲラルダス・ファン・デル・レーウ、アルヴィン・ルーゼルーーーその全員が後にエラノス会議に出席している。ユングはフレーべ・カプタインから彼女の学校で1931年の夏季講義を依頼されているが、それは辞退している。エラノス会議の研究家であるハクルは、フレーべ・カプタインがアリス・ベイリーやアサジオリと近しい関係にあることをユングが快く思っていなかったと伝えており、彼女に彼らと縁を切るように迫ったとしている。1932年に二人の女性は袂を分かち、ベイリーはアスコナを去った。同時期に1920年から集会を開催していたヘルマン・カイザーリンクの知恵の学校も公式に会合の開催を終えている。

 1033年にユングがエラノス会議で初めての講義を行うまでにはこのような経緯があり、そこで彼は「個性化過程の経験」と題してクリスティーン・マンの幻視[ヴィジョン]を紹介した。この会議は「東洋西洋のヨーガと瞑想」と題され、およそ200人の出席者があった。その2年後の1935年に、ユングはパウリの夢についての講義をしたのである。・・・《C.G.ユングの夢セミナー『パウリの夢』・C.G.ユング著・河合俊雄監修・創元社2021年より抜粋/スザンヌ・ギーザーの序文より》

 

 

 

一方で占星術に関しては

深く携わっていたようで

ちょうどユングの講義の中で

占星術に触れたところで

鏡リュウジさんが

ご自身の訳書について解説されている

動画の内容がシンクロした↓

 


ユング占星術鏡リュウジさん登場!』

https://www.youtube.com/live/42KtPoP1Lxc?si=-mm89H4OFUi4AZp3

 

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ユングは講義の中で

パウリの次の夢を挙げ


〈夢見手は羊の国にいます。

そしてここで彼は見知らぬ女性に会います。

はじめにヴェールをかぶって現れ、

次に太陽の顔で現れた女性です。

ここで彼女が再び現れ、

夢見手に進むべき道を指し示すのです。〉


牡羊座から始まる

十二宮の円環について次のように解説する

 


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 この夢、つまり幻視[ヴィジョン]は、なぜ夢見手が羊の国へ、子どもたちの国へ、無垢と服従の国へ帰らねばならなかったのかを、理解させてくれます。従来の自我意識や従来の精神から遠ざかることが彼にとっては絶対に必要だったのです。「まず父親から離れなくてはならない」、と語った声を覚えておいででしょう。それは、羊の国に入りこむためだったのです。つまり無垢で無意識の国ーーー無垢で無意識の状態ーーーへ赴くためです。彼が戻らなくてはならないのは、判断力のない状態であり、自分の人格の本能的な基盤に任せざるをえない状態です。ただしその型は、彼そのものでありながら、彼にとって未知のものです。私たちにも他の誰にもわからない型を、私たちはみんな内に抱えています。その基盤にある型は、私たちと共に生まれ、私たちが行うことを通じて、初めて私たちに認識されるのです。私たちの行為においてのみ、私たちは姿を現します。私たちには私たちが何者であるのか分かりません。もしエベレストの山頂で孤独に育ったのなら、自分たちが何者であるのかは決してわからないでしょう。自分たちがどのように反応するのかを知るためには、多くの行為と、多くの活動と、多くの人生の側面を必要とするのです。まったくもって驚くべきことですが、環境に対する自らの反応によって、私たちは自分たちが何者であるかを知るのです。自分が何者であるかを事前に語れる人などいません。事後になって初めて、自分が何者かわかるようになるのです。そうして自分がどのように反応したかという、消えることのない記憶を獲得するのでしょう。彼はしかじかの人生を生きた人物であり、彼がその人生を生きるつもりだったか否かにかかわらず、彼はそうした人物なのです。そのような人物になることを、誰も彼に教えることはできなかったでしょうし、彼も前もって想像することはできなかったでしょう。この経験を通じて形成された人格が、それぞれの人に生まれながらに備わっている型なのです。それは私たちの運命の型で、運命が私たちによって作られたものなのか、私たちに降りかかってきたものなのかにかかわらず、そうなのです。私たちはこの二つの要素を区別することができません。事象は私たちに生じますが、それは私たち自身がこの事象そのものだからです。私たちの運命は私たちに生じますが、それは私たちが運命そのものだからです。そして、私たちの人生の最終的な結果が、私たちが何者であり続けてきたのかを、私たちが生まれ落ちたときに何者だったのかを、明確に示してくれるでしょう。

 占星術を信じておられる方なら、これが基本的な考え方であることはご存知でしょうが、占星術を信じておられない方は、出生時人生の見取り図さえ作成できるという奇跡を、怪しく思われるかもしれません。この問題は時間の相対性に関わっていますが、このことについて語るのは控えておきましょう。《C.G.ユングの夢セミナー『パウリの夢』・C.G.ユング著・河合俊雄監修・創元社2021年より抜粋/ベイリー島セミナー1936年第二講》

 


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タロットの原型や生命の樹のパスワーク

易経や数秘、さまざまな占いの原型

占星術ではサビアンシンボル

そして恒星探索

ヴィジョンは

これらの原型、象徴[シンボル]の糸で

織りなされたタペストリーに浮かびあがる

20世紀初頭を生きたユング

26000年周期のアイオンについても

各所で触れているそうだが

フラワー・オブ・ライフ

数字や暦の神秘にも通じていたのだろうか