食べ物のエネルギー

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今晩は

2月まで滞在していたシェアハウスにて

住居人お楽しみパーティーがあるので

ラザニアを作って差し入れする

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母がニューヨークにいたときに

ご近所さんから教えてもらったこのレシピは

ベシャメルソースは使わず

カッテージチーズをたっぷり入れる

上等の自然素材で

おもてなしのお料理をつくるのは楽しい

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そもそも食べ物は

全てがナチュラルな素材であったのに

現代になって

ナチュラルであることが高級になってしまったなんて

かなりおかしいことだと

子育てしながら気がついた

大量生産の加工品は安いので

主婦のお買い物には有難いのだが

肉でも魚でも野菜でも

ほぼ手を入れず

素材そのものが美味しいモノを

なるべく食卓に出すようにして

子どもたちの味覚に記憶させた

それらの素材には現代の栄養学的だけではない

まだ解明されていない

未知のエネルギーがあるのだと

学校では教えてくれないようなことを

伝えながら食べさせた

口うるさい母だったと思うし

「ママの話は長い」と今でも言われる

ただ

素材第一を崇拝するわけではなく

休日の朝マックのバリューセットや

カップ麺やコンビニやファミレスの食事も

手軽さやアミューズメントとして楽しみながら食べた

いつでも何かを口にできる

という時代と国に生まれたことだけで

本当に有り難いと思う

この食べ物のエネルギーに気づいたのは

酷いつわりを体験したときで

妊娠中は感覚が研ぎ澄まされて

この未知のエネルギーの高いものしか

口にできなかった

プラナとかソマチッドとかマナとか

呼ばれるようなものかもしれないし

それよりもっと違うものかもしれない

食べ物にも気や波動があり

土地に心魂を浸透させたいなら

その土地のものや水を取り入れたらよい

また

楽しい気分で作ったものを食べれば楽しいし

陰気な気分で使ったものを食べれば陰気になる

そして

何か生き方を変えたいなら

その生き方をしている人が口にするようなものを

なるべく体に取り入れるとよいとも思う

知識と感覚があるのとないのとでは

生き方が変わってくる

人生の規模感が育ち

生き方を自由に選べるようになる

その自由度の中で

其々が好きなものや好きな状況を選べばよい

人気のあるものは残り

人気のないものは無くなる

その一口が世界を作っている

ただ知識を入れても

感覚が鈍っているとやりがちなのが

頭でっかちになり

何を食べるとよいなどと子どもたちや人に強制したり

人や社会を悲観的にみたり攻撃したり

とても不幸な気に満ちることがある

口うるさい母が言うのも何だが

好きなものを好きな人と好きなように食べるのが

何よりも健全だと思う

シェアハウスを退居したあとも

こうして親しみをこめて

パーティーに招待してくれる

明るく楽しい若者たちが大好きだ

美味しいワインも買って行こう

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